RADWIMPS曲 考察4曲目は
『夢見月に何想ふ』
です!
特に刺さる曲なので考察できて
うれしいです。
この記事を見てくれる方、
相当なRAD好きですね
今回はワンフレーズに着目して考えます。それではよろしくお願いします^^

さて、あなたは
『夢見月に何想ふ』を聴いて、
「今の自分を肯定された」と感じたことはありませんか。
この曲の中には、
過去の出来事や感情を
どう受け止めるかについて、
深く考えさせられるフレーズがあります。
つらかった経験。
消したいと思ってしまうような記憶。
そうしたものさえも、
今の自分を形づくる一部なのかもしれません。
本記事では、印象的な一節をもとに、
「過去の肯定と今の自分の関係」について考察していきます。
考察するにあたって前情報
~公式情報より~
『RADWIMPS 2 〜発展途上〜』に収録されている曲です。
アルバム販売が2005年3月なので
初期のRADWIMPSですね。
野田さんの誕生日は1985/7/5なので
19歳の野田さんが作った曲で、
19歳とは思えない
捉え方・考え方、表現が
コメント欄で大讃頌の嵐になっています。
洋次郎さんの声と曲調、歌詞が相まって
心に刺さって
なんだか泣きそうになる曲ですよね。
また、
現在この曲はspotifyやapple misicでは
聞くことできません。
そのため知っている人もほかの曲に比べ多くなく
「隠れた神曲」なんても呼ばれています。
CDを購入するか動画サイトで見るのがお勧めです。
このあたりの曲だと「何十年後かに…」
ってタイトルの曲も大好きです。

「今の自分」を肯定できる歌詞
この曲には印象的なフレーズがあります。
そしてこのフレーズは僕に深い感動を与えました。
泣いた 笑った 叫んだ
その今の連鎖が僕なら
偶然の上に生きてきた
そして今の僕に会えたなら、
悲しみよ 苦しみよ 痛みよ
気持ちよさよありがとう
僕はこの歌詞を聴いたとき、
「今の自分を肯定された」と感じました。
これまでの人生で、つらい経験は
何度もありました。
周りの人からは理解もされないようなきついことも、
なんならもう消えてしまいたい
と感じた過去もあります、、、
それでもこのフレーズは、
そうした過去を含めて、
「今の自分を作ってるんだよ」と
自分を認めてくれるように
感じられました。
ここでの「連鎖」

「自分で選んできた結果」が連鎖となり今を作った
……
この歌詞では、今の自分を「連鎖」として捉えています。
泣いたこと。
笑ったこと。
叫んだこと。
自分が過去に感じた思い、経験、感情
それらの積み重ねが、今の自分を形づくっている。
私はそのように解釈しました。
ここで重要なのは、
それが「自分で選んできた結果」であるという点です。
苦しみながらも、喜びながらも、
その都度、自分なりに選び、進んできた。
その結果として、今の自分がある。
だからこそ、その連鎖を「自分」として受け止められるのだと思います。
「偶然」すら受け入れる
「ありがとう」
理不尽、偶然すら肯定する姿勢
……
一方で、この歌詞には「偶然」という言葉も出てきます。
人生には、自分では選べない出来事も
多くあります。
理不尽だと感じる経験も含まれます。
それでも、その偶然の積み重ねが、
結果として今の自分をつくっている。
そう考えると、
理不尽に感じた出来事さえも、無関係とは言えません。
この歌詞の
「ありがとう」という言葉には、
そうした偶然すら受け入れようとする姿勢が表れていると感じました。
悲しみや痛みも含めて「今の自分」

(なんか俳句みたいな語呂ですね、、、)
さて、
ここの歌詞では、
「悲しみ」「苦しみ」「痛み」
といった言葉と、
「気持ちよさ」
が並べて語られています。
私はこれを、
「すべてが今の自分に必要だった」
のではなく
「すべてが今の自分を作っているんだよ」
という肯定だと受け取っています。
つらい経験は、性格や考え方、生き方に
大きく影響します。
時には
人生を大きく変えてしまうこともあります。
実際、僕はその悲しいある出来事で
人生が変わったと思っています。
それだけは、まだ「ありがとう」
とは思えないです、、、
それでも、
その積み重ねがあったからこそ、
今の自分に出会えている。
「今の考えをもった、
社会性を持った、
自分軸を持った、
辛さを持った、
人の優しさを知った」自分に出会えたのです。
そう考えると、
ポジティブな経験もネガティブな経験も、切り離すことはできません。
この歌詞以外にこんな表現がされています。
昔を惜しんでも 先を恨んでも
その全てがもう 今の君なの忘れたい君も 忘れたくない君も 作ってきたの 今の君を
忘れたい記憶も、惜しむような過去も
すべて
今の僕をつくってきました。
今の自分はそんなつらい過去も含めて生きてきたのです。
すべて必要だったとは言い切れませんが
すべてが今の自分を作った連鎖です。
「今の自分」を見つめるもう一人の自分

僕がこの歌詞にここまで深く感動したのはこのもう一人の自分の役割を歌が担ってくれたから
……
「今の僕に会えたなら」という表現には、
少し距離を感じます。
まるで、自分自身を客観的に見ているような感覚です。
私はこの客観的にみている人を
第三者ではなく
「自分の中のもう一人の自分」
だと考えます。
その自分は
過去の自分を責めるのではなく、
受け入れ、認めてあげられる存在です。
ほかのだれでもなく、自分を一番知っていて
自分を見守ってきてくれた大切な存在です
「承認欲求」というより
「自己肯定」の人格でしょうか
なんかインサイドヘッドみたいな話になってしまいました、、
そしてその存在もまた、
これまでの経験の積み重ねによって
生まれ、成長し、
今までの自分を見てくれているものだと思います。
つらい過去も忘れたいことも、
あなたを作ってきました。
それを切り捨ててもしょうがありません。
つまるところ、
皆さんも自分のその人格を大切にし、
その声を聴いてあげてください。
自分を認めてあげられなくなると
つらいばっかです。
僕がこの歌詞にここまで深く感動したのは
自分に代わってこの歌が
自分の自己肯定の人格の役割を担ってくれたからだと気づきました。
自分が嫌って切り捨てたかった過去を
この曲は
「それも自分を作ってるんだよ」
と論して肯定してくれたように感じます。
自分ではできなかったことを、やってくれました。
感謝です、ほんと感謝です。
(ちなみにここの歌詞以外のところでは
過去から今の自分を見ているように受け取れる歌詞もあります。
そこの関係も考えると面白そうです)
この歌詞が示す「肯定」

この歌詞は、
無理に過去を肯定するよう求めているわけではないと感じます。
つらい出来事を、すぐに
「ありがとう」
と思うのは難しいものです。
しかし、
その出来事が今の自分をまた形づくっていると捉えることはできます。
つまり、
過去に最初から意味があったかどうかではなく、
「今の自分が過去に意味を与えている」という考え方です。
最後に
過去が今の自分をつくったのか。
それとも、今の自分が過去に意味を与えているのか。
その答えは、「こうだ」と決めつけるものではないと思います。
ただ、どちらの捉え方であっても、
少しでも自分を肯定し、
得ることができるのであれば、
それで十分ではないでしょうか。
今はまだ「ありがとう」と思えない
経験があったとしても、
無理にそう感じる必要はありません。
いつか、
そのように思える日が来る可能性もあります。
この歌詞は、
そんな新たな視点をそっと示してくれているのだと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。


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